東京オリンピック開催を目前に控えた昭和39年10月1日、ついに、夢の超特急・新幹線の開通です。
そんな中、親の都合で大阪へ引っ越さなければならなくなった親友の敏也に、公平は大切な宝物の長島のサインボールを餞別として贈り、別れの言葉を手向けます。
『大阪に行っても巨人ファンを続けろよ!』
……敏也君の命が危険にさらされないことを切に願います。
折しも、東京を聖火ランナーが走った日の小さな別れの一コマでした。
一方で、祐子の家出騒動からぎくしゃくしていた山崎家も、ここにきてだんだんと雪解けの方向に向かっているように見えました。それなのに、忙しい仕事の合間を縫って、公平のキャッチボールの相手をしていた父・有三は、突然の激しい腹痛に倒れ、病院に運ばれることに……。
あわただしい昭和がここにあります。
時速250キロ
昭和39年10月1日に開通し、わずか4時間で東京─大阪間を結ぶ新幹線。
そして、東京オリンピックの開会式が行われたのが、昭和39年10月10日です。
わずか9日後。
どんだけぎりぎりやねん!
ちなみに、同じ10月1日に、首都高速道路のオリンピック関連道路も開通していたりします。
それにしてもね、わずか2週間のオリンピックのために、何年もかけてこの新幹線とか高速道路とか、ものすごい経済効果ですよね*1。現在も日本をはじめいろんな国で誘致合戦が繰り返されているのもよくわかります。
あ、そうそう。
前から思ってたことだけどさ、この新幹線の『ひかり』とか『こだま』とか、すっごいいい名前ですよね。
こんな速そうな名前、ほかになかなかないですよ。その後の新幹線につけられたどの名前を見ても、この二つを超えたものはひとつもありませんよ。
ちなみに、わたしのHNの『青葉のぞみ』は新幹線の名前を二つ並べただけの単純なものです。
実は密かに『児玉ひかり』にしようかと思ったこともあります。
別に鉄子じゃないんですけどね。
はい、余談が過ぎますね。
未来に夢を
『これからは職人の技術は要らない。機械がすべてをやってくれる時代になる。親父のようにあくせく働く必要は無くなるんだ』
また青臭い書生論を語っているお兄ちゃん萌え♪
でもこれ、いまだから言えることで、当時はみんなそう思っていたのかもしれないですね。
ほら、この頃の21世紀の世界を描いたイラストとか、すごいじゃないですか。
車が空を飛んだり、火星に基地ができていたり、誰もが宇宙旅行を楽しめるようになっていたり……どれ一つ実現してねーし!
いまの子供たちに同じような質問をしたら、22世紀に世界はどうなっているか聞いてみたら、きっといまと大差ない世界だって言うんじゃないかな。
技術も、政治形態も、社会制度も、どれもこれもが頭打ちで、何をやろうが先が見えている。少なくともみんな見えていると思っている。そんな世界で夢らしい夢を抱くのって、難儀ですよねぇ。
貧しくなったとは言っても、基本的には日本人で餓死を心配して生きている人はいませんし*2、世界の中でも恵まれた一握りの国の一つなのでしょうけれども。
ん。まだ、貧困にあえぐ国の方が、子供たちは夢を見ているのかもしれないな。
だけど、そんな国の方がマシと言う自信は無いよ、もちろん。
親の背を見て
子供たちのあこがれの的である新幹線の部品を作っているのが自分の父だ。小さな工場で毎日汗だくになって働いて、自分の運動会さえ見に来てくれない父親だと思っていたのに、そんな大きな立派な仕事をしていたんだ。もう子供としては、ぜんぶ許しちゃう! そんな心境かもしれませんね。
そうだよねぇ、誰だってさ、仕事なんかせずに子供と遊んでられるならその方がいいよね。
ずっと楽しいよね。毎日そうしていたいよね。
なんで子供と遊べないほど働くのかって、そりゃもうぜんぶ子供のためなんだよね。でも、それを奥さんに責められたり、子供に恨まれたり、おとーさんたいへんだよねぇ……まあ、ここ最近の物語上でのトレンドだと、そういう役割はおかーさんが担ってる事が増えてるのかな。
次回はいよいよ最終回
転校かぁ。わたしも何度か経験あります。友達との別れがつらくて泣いたっけなぁ。
まあ、三日もたたずににけろっとして笑ってるんですけどね。
よし。ついにラストだ。最後までつきあうよ。つきあったよ!
倒れた父はへーきかなぁ。まさか死んじゃうようなことも無いだろうけどね。
オリンピックかぁ……まあ、死ぬまでに一度は日本で見てみたいなぁ。
では、また来週! あでゅー!