パジャマです。
パジャマと言えば、これ以上ないほどにプライベートな場所と時間にのみ許される装いです。まあ、入院中の病室のような例外はありますが、たいがいは自分の家の中であっても、眠る直前から起きてすぐまでの限定した時間以外に着ていたらだらしないと思われても仕方のない格好でしょう。
そんな衣装で、外へ出る。これはインモラル極まる行為です。まだ、新聞を取ってくるとかゴミを出してくるとか、その程度ならば許されることもあるでしょう。しかし、そこから外れた場合……どこまで許されるか?
いや、これは世間的には許されることはない行いなのでしょう。
それでもやるというのならば、おそらくそこは自分との戦いです。自分の常識・羞恥心・勇気と相談して、何百メートル、あるいは何キロメートルほど家から離れることができるのか?
昭和の映像を見ると、パジャマでタバコを買いにいくくらいはアリだったようですね。ただ、これはあくまでも当時の話。何事にも潔癖が求められるようになり、細かいところまで人目を気にしなければすぐに後ろ指を指されるようになってしまう窮屈な現代では、そのころの常識は通用しません。
そうですね、いいところ、住宅地でのゴミ出しおばさんくらいが限界でしょうか? あ、そもそもいまの若い子ではパジャマを着用する子が減ってきているんですよ。うちの中学校で以前にアンケートを採った結果では、男子の7割、女子の4割は、パジャマ以外の、たとえばTシャツとショートパンツで寝ていたりするようです。
さて、我らが委員長・高千穂ちほ嬢は、多くのクラスメートにパジャマ姿で駅前に歩いて行くところを目撃されています。彼女の家はそれなりに駅から離れた閑静な住宅街です。強い。年頃の女子にあるまじき羞恥心の薄さにわたしはびっくりです。
彼女は言います。
「パジャマとはプライベートな空間でのみ許される服装である」
これは逆から考えれば
「パジャマを着ている空間は自分のテリトリーである」
こうなる、と。
赤ん坊の頃は家の中が世界のすべてです。それが幼稚園の庭の中にまで広がり、小学校へ通う通学路も自分のものとして、中学生になれば自転車で行ける範囲は縄張りと言ってもいいでしょう。
こうしてだんだんとテリトリーを広げていくことは、すなわち大人になっていくこと。
そう、委員長は世界を広げるために果敢に常識への挑戦を試みたのです。
彼女の家を知る級友は言います。
「いくらなんでも駅まで遠すぎるよ」
委員長は応えます。
「100km離れた親戚の家で寝起きに新聞を取ってくるように頼まれたら? パジャマのまま出るでしょ? 100km先でもパジャマが許されるんだから、たかだか歩いて行ける駅前なんて遠くも何ともない」
すばらしい!!
クラスのみんなは思わず納得してしまいます。
……あれ? そういえば今回は秀才の黒田くんのツッコミがほとんどなかったような。
それだけ勢いがすごかったんでしょうか。
ま、それはそれとして、やはり高千穂ちほも花も恥じらうお年頃なのです。
「ホントは恥ずかしくなかった?」
ストレートな問いかけに、思わず赤面してしまう程度のかわいらしさは持っていた様子。
うん、いい中二です。
そんなところで、また来週。