自己犠牲。
共感と感動を得られやすいからでしょうか、テーマとして、また、モチーフとしても、好んで描かれることの多いものの一つでしょう。
いざ現実に目を向けてみると、たとえばこれを教育として教えることはタブーです。そんな意図はなくても拡大解釈されて「軍靴の音が聞こえてくる」とか言い出されかねませんし、そうでなくても極端に走られて「誰かのために死ねとは何事だ」とか。

 

まあ、誰もそこまで言うつもりはないんですけどね。

 

で、えーっと……いいや、あんまりこれ語ると、こんな場末の零細ブログにまでこわいひとがやってきかねない話に繋がるし。

 

閑話休題。

 

誰かに頼られるということは、自分が他者に肯定されることに他なりません。それはとてもとても気持ちのいいことです。どんなひとでも多かれ少なかれ、他人の目は気になるもので、ほめられれば嬉しく疎まれれば悲しくもなります。
そしてその喜びは責任感からの重圧と表裏一体です。なんとしても期待に応えたい。多少のムリをしても、ぜひともやりとげたい。

 

そんな気持ちがバレモトを走らせました。
そして、バレモトの男気に答えるかのように、キャベツが、ヘイタイが、自らの身を顧みることもなく教官達に飛びかかっていくのでした。

 

そういうことなんですよ。つまりね。
わたし気が小さいし、もう言わないけどね。

 

なにがって? いや、いいんだよ、うん。

 

ほら!! 石原の頭が完全におかしくなってる。

これでアンチャンを殺したところで、こんなに目撃者がいたら前よりやばいのに。

 

ね。一線を越えたかどうかは重要なわけなのよ。