きわめて一般的な日常

きわめて一般的な日常を綴っていたはずなのですが、いつのまにかアニメやゲームの話ばかりになっていました

放浪息子 第11回『放浪息子はどこまでも』

わたしはアニメの放送半ばくらい過ぎてから、原作のコミックスを一通り読みました。
それで感じたんですが、このアニメの放浪息子は、マンガ放浪息子のアニメ化としては


失敗作


だと思います。
このへんおそらく異論もあるかなとは思いますが、キャラクターの見た目や基本的な性格設定等は近いものの、原作の……なんて言うんだろ。核、っていうと大げさかなぁ? 芯の部分? そういうものがアニメ版ではまったく再現されていないと思うんです。同じエピソードを使っていても伝わってくるものがまるっきり違うんです。


なるほど、つまりアニメ版は駄作だと思っているわけ?


いえいえ、とんでもない。


ぶっちゃけ、マンガ版に勝るとも劣らない傑作だと思ってます。
これはいい原作クラッシャー! そんな感じ。



そもそも、小学生編をすっ飛ばして原作そのまま再現なんて不可能なんです。それならば、むしろ原作とは違った芯を作ろう。二鳥くんや高槻さんを動かしてみよう……そう思ったのかどうかはわかりませんけど、わたしにはマンガとはぜんぜんちがう彼らが、アニメの中で生き生きと動く様が、とってもとっても好きでした。


そんな前振りで、最終回で気になった部分をいつものようにつまみ食い、と。



この年頃の子って、相手の言葉たった一つで自分の気持ちも相手への思いも、ころっとかわったりしてしまうんです*1
たとえば二鳥くんは、土居くんの「かわいいんだから女装して学校へ来い」の一言に踊らされ「バカじゃねえの」に深く傷つけられキライになったはずなのに、ちょっと台本を手伝ってもらうともう『いい人なのかな』とまた思ってしまったり。
一方の土居くんにしても、二鳥くんにキライだと言われたのち、明らかに一歩大人になっています。
んっとね、今までは、もろに子供の言動でね、つまりは他者との距離感を掴み切れていなかったんだと思うんですよね。それが今回、劇の台本を手伝うことになったときの彼は、もう“小学八年生”の土居くんではありませんでしたよ。中学生として一皮むけた友達付きあいのできる子になっていたと思います。


おまえもう教室に来いよ


セーラー服登校の一件以来、ずっと保健室登校を続けていた二鳥くんを教室に戻したのは、驚くことに土居くんでした。
意外ともしかすると、二鳥くんに合う友人は、親友となれるような友は、マコちゃんなどより彼なのかもしれませんねぇ。


そうだ。きっと、土居くんの存在は二鳥くんを成長させた大きな要因の一つなんでしょうね。
二鳥くんは、いままでずっと恐れていた声変わりがついにやってきても、笑ってそれを受け入れられる子になりました。



でも、いいんだ、これで


いいんだ。
わたしも、そう思います。
男も女もない子供時代から、彼は一歩踏み出して男になっていく。
いつか、楽しかったこともつらかったことも、懐かしい思い出になっていくんでしょう。


てかこの土居くん、わたし見たことあるぞ……


手木崎さんだ!


……それはいいとして。



もちろん彼らだけじゃなくて、高槻さんも、千葉さんも、みんなみんなが「いつまでも子供ではいられない」そう言葉にすることはなくても感じているんだと思います。
『中二=イタさの代名詞』のように用いられる昨今です。だけどそれは、精一杯一生懸命もがき苦しんで成長しようとしてるから、なんだよね。多少のおバカやオイタは大目に見てあげて、のびのびすくすくと伸びていって欲しいものなのですけれど。


なかなかそれを許さない世の中ですねぇ。


はい。最初に言ったとおり、すっごい満足でキレイに完結した楽しいアニメでした。
有意義な時間をプレゼントしてくださったスタッフの皆様に感謝します。


では。

*1:言うまでも無く程度問題で大人にもありますけどね