祖父の葬儀のために久しぶりに実家に帰った河地大吉は、そこで79歳で大往生した祖父の隠し子と出会った。無口で気むずかしそうに見える幼い少女を、親戚一同の皆がもてあまし、当たり前のように施設に放り込もうという意見が大勢を占める。



俺が引き取る




だが、大吉は気づいていた。りんが本当に祖父……彼女にとっては父を慕っていたことに。
ただのおかしな子なんかじゃないことに。
かくして、30歳独身男と6歳の少女のチョーやばい同居生活が始まった。



ああ、身内ばっかりの、ふつーのお葬式の雰囲気が良く出てる。
久しぶりに会う遠すぎず近くも無い親戚との会話って、どこか照れくさくてよそよそしいものなんだよね。
自分で覚えてないような小さい頃の失敗を大人になった後まで何度も何度もネタにするおじさんとか、こっちには記憶の無い人たちに大きくなったねぇとこれまたうんざりするほど言われ続けたりとか。


そうしているうちにいつのまにか自分の兄弟が家を出て家庭を持って、その子供にこういう機会でだけ会うようになると、自分も同じ事をしつこく繰り返し言うおばさんになっていくのかなぁとか考えるともう叫び出したくなる恐ろしさにいたたまれなくなっていく親戚のお葬式の場で、大吉はりんと出会いました。


ちょっと引っ込み思案でかわった女の子。第一印象はそんなもの?



けっこう子供って打算的なんです。大人が考えるよりずっとね。
誰に媚びれば一番自分の得になるか、そういう判断力はとってもシビアで的確だったりします。大人のように義理や人情まったくなし、しがらみなんてまるで存在しない子供の強みでしょうか。


まあ弱い自分を保護してもらうための本能に近いもので、インプリンティングなんですよね。鳥の子のように先着順ですり込まれるわけじゃないだけ。


もっとも、だからと言って、誰もが鳥のように全力で甘え寄り添っていくことができるわけじゃないのが面倒なところで、人間の子供にとっては大人全般は恐怖の対象ですから、なかなか自分から近づいていくとができない場合も多いです。
そういった自分に害が及ぶような本来の意味での恐怖心は言うに及ばず、甘えに行っても拒否されるのでは無いか。自分が不要だと言われるのではないか。のような居場所を失うことの恐怖もあります。


大人にとっては子供が近寄ってきたい雰囲気はだいたいわかります*1。そこで『はっきり言えるまで放っておくのが教育だ』みたいなやり方は一般的には推奨できないんですねぇ。



おいで。


うん。そう、言ってあげましょう。その一言で充分です。



△▼△



ところで、りんは、6歳児ですよね。
そんな子が、おかず無しでおにぎり。具も無しで塩おにぎりを自分で握っちゃう。
まだ熱いご飯を手のひらで器用に転がして冷ましながら握っちゃう。
……ああ、苦労してたんだなぁ。でもね、おねーさん思ったよ。キミはわかってる! 塩おにぎりのうまさを知っている通な6歳児って滅多にいないですよ。うん。


かわいい。りんかわいいよりん!!


と、そんなところで。



しかしまぁ、実際こういう子に出会ったら、ホントに引き取って育てちゃうぞって言い出す男性諸氏は今日日多そうですよねぇ。なんかこう、薄い本が増えそうな題材ですよね。


さて、これはけっこうお気に入りかもです。来週にも期待っと。

*1:子供の方がわかるようにやってるんですけどね