りんと連れだっておじいちゃんのお墓参りにやってきたダイキチは、墓前に残されたインク瓶とそこに差されたリンドウの花を見て、正子がつい先ほどまでここにいたことを察知した。これならばまだ遠くへは行っていないと踏んだ彼は、りんをその場に待たせたたま正子を追いかけ走り出す。
ほどなく追いついた正子の隣には、ダイキチの知らない若い男がいた。少しの逡巡ののち、ダイキチは正子に声をかけてこう提案する。


りんの成長をこっそり影から見てみませんか?


時の流れは冷たくもあり優しくもあるものです。
主が亡くなり思い出の詰まった家をいつまでもそのままにはしておいてくれないのも時間だけれど、その家の主を失った悲しみから立ち直らせてくれるのもまた時間です。
確かに亡くなった者の時間はそこで止まってしまうものなのかもしれません。それでも、残された者が先に逝った者の思い出を胸に抱いて前に進み続けているならば、きっとかの人の時間も一緒に動き続けるのだと思います。


だからこそ、わたしたち生きている人間にはまっすぐ前を向いて生きていかねばならない義務がある。そう思うわけです。


さてさて、りんちゃん7歳の誕生日ですね。
もう幼児じゃないんだ」と、ついつい漏れた実の母の言葉のように、幼児と児童はまったく違うのです。


どう違うかと言えば!


こうなっています。
え? 法律なんてどうでもいい? ごもっとも。
だけどついでだから、もう一つ豆知識。
一般的に言われる狭義の児童……小学生を限定して指す『児童*1』ですね。
こちらは学校教育法における定義です。


さらに言えば児童福祉法は厚労省の縄張り、学校教育法文科省の縄張り。


あ、そうそう。道路交通法と車両運送法で原付の定義がずれていたりするでしょう。

  • 道路交通法における原付:〜50cc以下*2
  • 車両運送法における原付:〜125cc以下


あれとまったく同じケースですねぇ。
これは前者が警察で後者が国交省とか聞きました。こっちはあんまり詳しくないんですけども。


そう、どうでもいいんだよ、うん。



で、同じ6歳でも遅生まれの幼稚園児と早生まれの小学生とではまったく違って見えるんですね。これはスモックをかぶっているとかランドセルを背負っているとか、そういった話じゃないです。周りに求められるものに答えようとする子供の順応といいますか、同じ年数を生きてきているとは思えないほどの違いがそこに生まれたりするのです。


よく、早生まれは不利、って言われますよね。周りの子供より一年早く入学してしまうから、成長が著しい子供時代ではその差が歴然としすぎている、と。
たしかにそういった部分は否定できないでしょうし、さらにいろんな研究の結果を読んでいくと、場合によっては一生を左右するほどに影響があるとまでいわれているものにもぶつかります。


だけど、しょーがないです。
もしかしたら今後は変えていかなければならないものかもしれないけれど、今の子供たちはこの制度の中でやっていくしかない。ならば、その差を埋める努力をするしかないわけですね。理不尽に思うかもしれないけれど。


ちなみにわたしも早生まれです。ん。あんま賢くないし運動も得意じゃないな……。
いや、もうそれで言い訳できる年齢じゃねえですけどね!



こんなもんでいいか。うん。
つかなんだろうな。なんでこううさドロの感想だけ毎回こんなになるんだ……。
きっとそれは、早生まれだから。
そういうことにして、では、また。


自分にどんどん似てくるりんに感動すら覚えていたような正子さんがおもしろかったなぁ。

*1:学齢児童ともいいます

*2:それ以上は小型自動二輪