【おままごとしなイカ!?】

とつぜんですが、最近は『ままごと』ではなく『家族ごっこ』と呼ばれることが多いようです。



その理由として「家にママがいない家庭も珍しくないんだから『ままごと』と呼ぶのはよろしくない」とかなんとか。


どうやら『ままごと』を『ママごっこ』がなまったものと思っている人が少なくないようなんですね。
実は『飯(まんま)事』が語源なんですけどね。


こういうのってたぶん、えらい人はわかってるんだと思うんです。
でも、誤解を解くのはめんどくさいからって事なかれ主義的に、せっかくのかわいらしい響きの日本語を消し去るのを黙認してしまった。そういうことだと思います。


似たような経緯で使われなくなった言葉の例に『バカチョンカメラ』なんてものがありますよね。これはもうすっかり放送禁止用語だそうで。
古来から伝わる普通の日本語で、特定の人種を差別するような意味なんてまったくないのですけれど……同じくめんどくさいからそのままなんだろうなぁ。


さて、閑話休題。



イカちゃんはおそらく人間のような家族を持ったことは無いだろうに、なぜか父親役がこれ以上無いほどにハマってます。奥さんに対して具体的すぎずかつそっけなさすぎない程度に仕事の様子をそつなく伝えるところなど、ホントのお父さんに見習って欲しいくらいのできばえです。


栄子は栄子でノリがいい。彼女はいい恋をすればいい奥さんになれそうな素質があるやもしれません。けっこうはすっぱな物言いの子って、家庭に収まるとうまくやるもんに思えるんだよね。なんでだろ。女の子女の子している子のほうがお嫁さんに向いてない例をいくつか見てきているせいもあるのだろうか。なむなむ。


早苗はダメだね。この子と一緒になったら末は刺されてジ・エンドかも。重い、っていうより、ヤバいからね、早苗の愛は。ままごとですら愛するイカちゃんのパートナーを他の誰かが担うことは許さないという、強烈な独占欲と燃え上がる嫉妬心! やばい。きっとやばい。


清美ちゃん強い。物静かで引っ込み思案なのに言うことは言うし譲らないことは譲らない。敵に回すとおっかない。「一人でも産みます!」とかチョー強い。泣き叫んですがりつく女より彼女のようなどっしりと構えてぶれない方がやっかいなのかもしれませんねえ。男性陣はこういう子をもてあそんだりしませんように。


それにしても、でっけーブルーシートだなぁ! 本職かよ!(謎)


【予定じゃなイカ!?】


みんな卒業すると忘れちゃうんです。でも、小中学生ってなまじのサラリーマンじゃ太刀打ちできないほどに多様な予定が毎日びっしりと入った生活をしているのです。わたしも小六のころから手帳を持ち歩いていろいろどーでもいい内容まで書き込んで予定表を埋め尽くしてたっけ。
楽しいんですよね、そういうの。きっとヒマのありがたみがわかるのって、ずっと大きくなってからなんですよ。当時は何も無い一日が怖かったんだと思いますよ。


清美の言うように、予定はあくまでも行動指針の一つです。計画通りに動くことで物事を効率的に進めて結果的に生活をよりよくすることが目的です。予定をまもることを目的にしてしまっては本末転倒ですから、臨機応変に無理なく適宜調整を加えていくことが大切でしょう。


だからといってイカちゃんのように「予定なんてまもらなくていいんだ」となるのは、これもまた違いますけれど。


あ、そうそう。ストーカー対策に有効なのは規則正しく動かないこと。だそうです。パターンを読まれると簡単に待ち伏せされてしまいますからねぇ。こわいこわい。


【遊園地に行かなイカ!?】

前も言ったっけ。わたしは遊園地はキライです。乗るもの無いし。速いのも高いのもキライ。
あ、お化け屋敷ならいいかな。うん、それは好き。あと、ゴーカートとか。自分で運転なら速くてもいけるさ!



コーヒーカップとか酔うし! ぜったいムリ!



さて、一日800円で、昼間から午後11時までコーヒーカップ乗り放題
これは……魅力ないよねぇ。
今までどうやって経営してきたのか謎だ。土地は自分の持ち物だとしても、毎月の電気代すら払えないだろうに。


もっとも、遊園地なんてどこもかしこも経営は楽じゃ無いそうですね。潰れてしまったところも数知れず、今残っているものの中でも10年後にはどれだけ生き残っていることでしょう。結局、後楽園とか、ディズニーランドとか、超大手のみに集約されていくのでしょうか。
って、これは遊園地に限りませんね。家電業界もコンビニも、自動車もそうだし、食品も提携が増えているか。


大きいところ数社のみが残り、価格競争もやらずにカルテルを結んで消費者から搾り取っていくいやぁな社会になっていくんだろうなぁ。なんてらちもないことを考えて陰鬱な気分になりました。


はい、イカちゃんの話でしたね。



そして、コーヒーカップのみになってしまってもがんばって営業を続けていた遊園地は、終演の時を迎えました。
特になにか深い関わりがあったわけでなくても、いままでそこにあったものがなくなってしまうのは寂しいしついつい感傷的になります。少しでも縁があればなおのことです。一般的に人は安定を求めて変化を望みません。諸行無常の理のごとく、どんなものでもいつかは終わりを迎えることはわかっていても。そしてそれに執着していては前に進めないことも知っていても。
でも、ほんの少し、いまだけは思い出に浸って少しだけ立ち止まってもいいと思います。そのくらいは、お釈迦様だってお許しくださることでしょう。


まあ、しばらくしてその美しい思い出は完膚無きまでにたたき壊されるわけですがね!


人間、思い出だけじゃ生きていけないわけですよ。
遊園地の跡地をかつて遊園地を愛してくれたお客さんのために残しておくには、園長のおじさんはまだ若すぎでしたね。第二の人生を歩むためには、お金が、仕事が必要なわけでした、っと。




さて、あー、今回長いな。
ま、いいや。


では、また来週!