スケッチブックも、はさみも、リュックも、何もかもがない。夫の使っていたものが根こそぎ持ち出されている。彼の自室の窓際にあった夏雪草の鉢植えまでもが、ない。いったいどういうことなのか。
そして、代わりに店に残されていたものは、あの人が記念日にわたしにくれた花の再現と、彼が好きだったカタカナの筆跡。


一方、篤に体を貸したままのお人好しの亮介の意識は、いまも六花姫とともに絵本の世界をさまよっている。


スケッチブックに絵本の物語を描いたのは篤ということは、その物語の登場人物である作中の六花姫は篤の想像が生み出した彼の代理人であるはず。つまりは、彼女の言動はすべてが篤の利益のためであることが自然だし、六花を巡る上で敵でしかない亮介の味方をする道理がないと考えるのが筋だと思う。
だが、六花姫は常に亮介を導き励まし助けているように見える。このまま放置すれば亮介の存在が消え去ってしまうというときに、最後の命綱となっているのが六花姫の叱咤なのだ。これは矛盾しているのではないだろうか。


否。そうではない。



亮介がいなくなってしまえばいいという思いと同じくらいに、もうこの世の存在ではない自分から六花を解放してあげたい思いも嘘ではないのだ。かといって相手が誰でもいいとは思えない。亮介のことを篤は心の底では認めているわけなのだろうか。彼になら愛する妻をゆだねてもいいと少しは思っているのだろうか。


その上、この思いは一方通行ではないようだ。
亮介は亮介で、六花が幸せになるのならばと、自分の存在が消えることを容認しかけてしまったほど、彼女のことを思っているし、篤の気持ちの深さも認めている。


だが、いや。あるいは……そう思わされることまで含めたすべてが、篤の罠の可能性もある。
だって、そうじゃないか。あの幽霊は、六花への執着だけで現世をさまよっているんだ。そのすべてが彼の責任じゃないにしても、生きている間に妻になにもしてやれなかった後悔の塊となって、いまも妄執だけがカタチとなってそこにいるのじゃないか。


俺はいやだ。何もせずに後悔するなんてイヤだ。
このまま死ぬなんてゴメンだ。六花に告白して、ダメならダメで仕方ないとして、とにかくあがく。前に進む!
そう決めた。



△▼△



そんな感じですね〜。



わたしね、ミホさん好きなんですよね。
何も聞かずに陰に日向にと義妹へ力を貸してあげてさ、義妹からの感謝の気持ちもしっかりと受け止めるところがいいよね。気にしなくていいなんて言わない。だけど恩着せがましさもぜんぜんない。この人みたいになりたいなぁ、なんて高校生みたいな事を思うわけですが。まあけっこう幼稚なんだろうねぇ、わたしも。


えーっと、さて。
この先どうなりますか、ね。
『自分が誰を好きなのかわからない』って、六花の混乱はよくわかります。だってね、いつから“篤”だったのか、最初から篤だったから好きになったのか、それとも亮介を好きになったはずなのに篤になっててますます好きになったのか? とか。もうホントに混乱ですよね。二股かけたみたいに思っちゃうかもしれませんしね。やっぱ、中身が篤のままの亮介とやっちゃったのは、重いですねぇ。


ん。では、また来週。