島尾篤は葉月亮介に借りた体の中で、生まれて初めてかもしれない幸せな時間を過ごしていた。
若く健康な体で、愛する妻とハイキングだ。もちろんお昼は愛妻の握ったおにぎりで、中に入っているものは大好きな具ばかりときている。
おいしい。そして、楽しい。
やっとここにいることに気づいてもらえた。できることならずっとこうしていたい。だけど……。


わたしが好きになった葉月くんは……どこ?


そんなこと、言われなくてもわかってた。


皮肉なものです。
生きているときにはわからないこと。それこそ一度死んでみなければわからないこと。
そんなことって、もしかしたら、思いの外にたくさん世の中に転がっているのかも。


持っていないからこそわからないことはもちろん、持っているからこそわからないことも、たくさんあるんでしょう。
結局、わたしはわたしの人生しか歩めないのです。どんなにうらやんでみても恵まれた誰かの人生に取って代わることなど不可能で、自分より不幸な人生を送る誰かと代わってあげることもできなくて。



△▼△



「あきらめていたんだろ」って、あきらめられるわけないよね。だって、ここにいるんだもん。
なんにもしてないからって、なんにもできなかったからって、それはあきらめたってことじゃない。
結果的に同じ? ううん、ぜったいそれは違う。あきらめたかどうかこそが、結果なんだから。


そんなことをしてもどうにもならないって、篤は最初からわかってたんですよね。今のこの幸せな時間は、結局は夢でしかないって、とっくに気づいているんですよね。
でも、だからって引ける? わたしムリだなぁ。生き汚く、未練たらしく、手に入れた体を死守して第二の人生を送ろうとすると思うなぁ。


彼は引こうとしてるんだよね。
自分のためなのか、六花のためなのか、死者に体を貸すなんてムチャをやってくれた亮介のためなのか……。


ねえ。


さて、そろそろラストスパートですね。静かに切なくクライマックスの炎は燃え上がり始めているのでしょうか。
では、また来週。