2点。この取ろうと思ってなかなか取れるものではない点数こそが、小鳥遊六花の中間テストにおける数学の結果である。言うまでもなく、これは学校側にすればとうてい看過できる点数ではない。学業に専念させるために生徒の校内活動に制限を加える必要があるだろう。
平たく言えば『期末テストで平均点を超える成績を収めない限り同好会の廃止』そういうことだ。
かくして少女は巨悪に対し敢然と立ち向かう。そう、数学という魔物との真っ向勝負からにげるわけにいかなくなったのである。
たとえば、ヤンキーマンガではこうです。
「名前を書いただけで受験に通ったぜ」
「まだ九九の五の段を覚えてないんだよな」
いかにレベルの低い高校かを読者にアピールするために、よくこんな会話があるものです。
これが、いわゆるオタクの若年層が好むラノベやコメディマンガだと。
「ウチは進学校だし」
「偏差値の高い学校だから」
このような会話を頻繁に耳にします。
要は、それを読んでいるファンが物語に自己投影して感情移入しやすいように、主たる対象に合わせた設定のわけです。
これは、読者の優越感や劣等感を刺激するため、といいますか、現実の自分の境遇に似た、あるいは、似ても似つかないものだからこそ求めるなにかを、作り手が受け手の心の隙間にするっとうまく通すための設定なのですね。
もっとも、本来はこんなことをキャラクターに言わせるのは不自然だし、別の手段を用いるべきなのですけれど。
で、この際そんな理屈はおいときます。問題は、前者ではまず発生しないが、後者では頻出してしまう矛盾がある、と。そこなのです。
ぶっちゃけ言えば。
なんでその高偏差値の進学校にこんな(学力的に)バカがいるんだ?
これですよ。
こういうツッコミを入れたことのない人っていないんじゃないですかね。
あげく『受験はマークシートだったから鉛筆を転がしてるだけでたまたま受かった』とか、ムチャにムチャを重ねられると、呆れを通り越して怒りすら感じてしまったり、なんて、ありますよねえ。
はい。長いですね。
つまるところ、我らが六花ちゃんも、そういうキャラの一人だったという話ですねぇ。
2点ですよ2点。すげー。
さて、今回、勇太のやり方はとてもうまかったと思います。
目先の餌で釣るんじゃだめだ、もっと本質的に自らやる気を出さなければ意味が無い、そうおっしゃる先生もいるんですけど、わたしはそうは思わないんですね。
これを成し遂げたら、ご褒美にそれを。
実にいい。
もちろん、最終的にはご褒美のためより自分のためにやらなければならないのはもちろんです。しかし、そこへ至るまでの準備段階。飛び上がる速度を得るための空母のカタパルトに似た働きとして期待するなら、問題ないどころかむしろ推奨すべきやり方だと思うんですよ。
よく『自分へのご褒美(笑)』と(笑)を付け足して嘲笑の対象にされるアレは、その実なにも笑うことなんてなし、とってもとってもいいことなのですよ。
閑話休題 ── そして、六花はやりとげました。
勇太に教わり必死でテスト勉強を続けた結果、同好会は存続できることになったのです。
「ありがとう」って単純な一言を表現するのには、勇気もガッツも山盛り必要ですよね。
だからこそ、他のどんな持って回ったお礼の言葉より。ありがとうと言われると心にクるんだろうと思います。
そう。お礼は三行以上なんて、ばかげています。
ありがとう。
心のこもったその一言で、いいのです。
六花はそう言えた。勇太はそれを受けた。
いいなぁ。青春だぁ。
△▼△
残りの部分で触れておきたいところと言えば、そう。
ずいぶんと接近したように見える勇太と六花の関係と対照的に、なぜかほとんど六花に絡むことのない丹生谷の心境が気になるところです。
やはり意図的に避けているのでしょうか。忘れ去りたい昔の自分の姿そのものである六花には、既にかぶる猫を失った彼女では冷静に接することが難しいのでしょうか。ついついきついことを言ってしまいそうだから、なるべく関わらないようにしている、みたいな。
ちがうか。関わると元の自分に戻ってしまうような恐怖感? そっちか?
だって、凸守の監視とか何とか言い訳していても、それだけでここにいるのって不自然だものね。部員総出動のプール掃除に律儀に参加するのもなにやら奇妙だもものね。
居心地のいいこの場所を、居心地がいいと認めることが怖いのか。
それだな、きっと。
そうそう、スク水回でもあったねえ。
……この寒いのに。
そんなわけで、久しぶりに大脱線したな。
ここんとこ比較的本筋に沿って話してたのにね。あくまで比較的にだけど。
では、また来週。
きっと次はフツーに戻るはず。