誕生から30年以上。連載終了から20年以上。
そして今なお、多くのファンを虜にしたまま、決して手放そうとしない伝説的な名コミック「BANANA FISH」が、今年、2018年ついにアニメ化されました。
ベトナム戦争終了から約10年。
ほぼ連載開始時点のアメリカを舞台にした、アクション大作、でしょうか。
もちろんわたしは、その当時の空気など知るよしもありませんが、現在とは何もかもが違った状況であることは容易に想像が付きます。
なのに、このマンガ。
まったく違和感がないんです。古くさくないんです。
前述したようにほぼ執筆時点での世界を描いている作品ですから、昔の空気を再現できていないなどということはありえません。
ひとえに原作者の吉田秋生先生が、時代に左右されない卓越したセンスの持ち主だということなのでしょう。
ん。いいと思うんですよね、このまま2018年のアニメにしても。
ご存じの方も多いことと思いますが、このアニメ化では原作の時代設定を改変して、現代のアメリカを舞台にしています。
んんんんん。要るかな、それ。どうなんだろう。
A Perfect Day For Bananafish
アッシュ・リンクスの兄、グリフィンは、従軍中に粗悪品の麻薬を用いて廃人になったイラク帰りの男だった。グリフィンをこんな身体にした者の手がかりは、彼がときおり口にする<バナナフィッシュ>という単語のみ。
ある日の夜の路地裏で、アッシュは銃弾を受けて虫の息だった一人の男から、謎の白い粉末の入ったロケットを受け取った。彼が今際の際につぶやいた言葉は「バナナフィッシュを洗え」
さて。
アッシュ・リンクスはスーパーマンである。
頭脳明晰・眉目秀麗・質実剛健を体現したかのような彼だったが、かといって幸せな環境を持ち合わせていたわけでは決して無い。
弱冠17歳でニューヨークにおけるストリートギャングたちのボスを務めていることからも、それはたやすく窺うことができるだろう。
美しすぎることが必ずしも幸福に繋がるわけではないのだ。
優秀すぎることが不幸を呼びよせることもあるのだ。
傷つけられ利用され、あるいは頼られ崇拝されながらも、アッシュは常に孤独だった。
そんな彼に訪れた運命の転機。
それは、容姿も頭脳も十人並みで、どこまでも平和に浸りきっている典型的な19歳の日本人の、奥村英二との出会いだ。
不良たちのボスであるアッシュを必要以上に恐れるでなく、所詮はチンピラだろ?と見下すわけでもなく、どこまでも一人の少年として接してくる英二の存在は、頑なだったアッシュの気持ちを少しずつほぐしていく……。
変わっているようで変わっていないような
原作ではベトナム帰りのグリフィンがイラク帰りになっているのはすごいですね。
両戦争での任務の長さや戦況の違いは大きいのに、兵士が受けた影響が同一と描かれているわけで、しかもそれはベトナムの教訓が一切活かされていないことにもつながることに、原作ファンとしては若干の違和感を覚えずにはいられません。
あと、細かい部分の演出で2カ所。
まず、アッシュが「顔は写すなよ」と言っていた部分ですね。原作だと彼はなにも言わず平気で顔写真を撮影させています。
このへんは、時代によるカメラに対する意識の違いが出ていておもしろい。
いま、うるっさいですからねぇ。国民のほぼ全てが常に動画まで撮影可能なカメラを持ち歩いている時代だからこそなのかな。
もう一つは、テレビアニメとしての規制なのかな?*1
緊急時でもヘルメットをかぶってバイクを駆るアッシュが、ちょっとかわいかったかも。
はい、原作ではノーヘルでした。
と、まあ、いろいろ言いましたが、一話目はおもしろかったです。
今後これが原作ファンも評価する名作となるか、
原作を知らなければ名作となるか。
それはまだわかりませんが、不安と期待を両方胸に抱きながら、見守っていきたいと思っています。
あ、最後に。
実はわたし、つい一週間前に原作を読み終えたばかりなんですけどね*2。
はい、にわかです。はっはっは。